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Today's topic No. 212
  2018/12/03

  1974年3月19日、ナッシュヴィルのヴァンダービルト大学で行われたレスター・フラット&ナッシュヴィル・グラスのライヴを完全収録したアルバム。ビル・モンローとレスター・フラットの歴史的リユニオン、1948年に袂を別って以来実に4半世紀ぶりの公式録音ということで大いに話題となったもの。






 


●BCD-16614 LESTER FLATT & BILL MONROE『Live at Vanderbilt Univ.』CD(本体\3,100-)\3,348-

(Lester Flatt & Nashville Grass) Flint Hill Special/Lost All My Money/I'll Be All Smiles Tonight/Homestead on the Farm/Rawhide/Wabash Cannonball/Orange Blossom Special/Nine Pound Hammer/Get in Line Brother/The Fall Is a Lonesome Time for Me/I Know What It Means to Be Lonesome/Dig a Hole in the Meadow.
(Bill Monroe & Blue Grass Boys) Uncle Pen/Blue Moon of Kentucky/Used to Be.
(Lester Flatt & Bill Monroe)Will You Be Loving Another Man?/My Little Cabin Home on the Hill/Cryin' Holy Unto the Lord/Sally Goodin'/Mule Skinner Blues.
(Lester Flatt & Nashville Grass) Salty Dog Blues/Red Wing/Wreck of the Old '97/Martha White Theme/Cumberland Gap/Foggy Mountain Breakdown.

 1974年、ほぼ30年ぶりに公式録音、発表された偉大なビル・モンローとレスター・フラットのデュエットが2曲収められた歴史的なライブLP『Lester Flatt Live! Bluegrass Festival』、そのライブの全容を収めた2002年、ドイツのベアファミリー発表のCDアルバムである。

 LPの15曲と比べ全26曲が収められたライブから、当時のブルーグラスボーイズ(ケニー・ベイカーfd、ジェイムズ・モラットbj、ビル・ボックスgt、グレッグ・ケネディbs)、そしてナッシュビルグラス(ローランド・ホワイトから代わったばかりの15歳のマーティ・ステュアートmdのほか、カーリー・セクラーgt、ポール・ウォーレン、ケニー・イングラムbj、チャーリー・ニクソンdb、ジョニー・モンゴメリーbs)、それぞれが仕事としてボスを守りつつ、歴史的な瞬間を過ごしている様子が感じられるのも興味深い。

 ビル・モンローとフラット&スクラッグス、1946年と47年の2年間、チャビー・ワイズとハワード・ワッツを伴って「ブルーグラス」という、まったくあたらしい弦楽器アンサンブルをもった音楽様式を完成させたことは、皆さんご存知の通りです。

 そののち1948年早春、ビル・モンローとフラット&スクラッグスは別々のバンドで活躍、モンローは「ブルーグラスの父」として音楽的な深化を進めてジャズやクラシック界にまで進出する芸術音楽にする素地を作り、そしてフラット&スクラッグスは「ブルーグラス」をポップ音楽として世界に広めて多くの優秀なミュージシャンに道を与えた……といえるだろう。

 しかし両者は、1955年頃から狭量な理由で反目し合い没交渉となり、フラット&スクラッグスが喧嘩別れした1969年後もそのまま反目がつづいていた(アール・スクラッグスは1970年のビーンブロッサムに出演、さすがルイーズ? いち早くビジネス的には交流を再開している)。それが、1971年のあの日、あっという間に解消されたのだ。

 1971年6月19日、その日、インディアナ州ビーンブロッサムは異様な興奮に包まれていた。インディアナポリス空港から初めてアメリカに上陸したばかりのぼくもそこにいた。

 ビル・モンローとレスター・フラットがほぼ四半世紀ぶりに共演するという。

 そこに居合わせていながら、その歴史的瞬間をハッキリと認識したのは本作のLPが発売された1974年のことだった。

 1971年当時、それは大きな夢の中の一コマであったに過ぎない。

 ただ、マイク・シーガーやラルフ・リンズラーらが興奮の面持ちでテープレコーダーのあたりをグルグルと歩き回っていたのを、なぜか鮮明に覚えている。

 肝心のビルとレスターのデュエットがどんなだったか、ぼくのサイコー憧れのヒーローにもかかわらず、……覚えていない。

 とにかく1971年夏、ビルとレスターはデュエットし固い握手をした。それからはたびたびフェスで共演、当時の呼び物の一つとなった。

 そして1973年、ビル・モンローのフェスをライブ録音、レスターも参加したMCAのアルバム『Bean Blossom』が大ヒット、その返礼に翌1974年、レスター・フラットのバンダービルト大学(ナッシュビルにある米国有数の私大)でのライブ録音にビル・モンローが友情出演、ここで初めて、ビルとレスターのデュエットが収録されたのだ。

 ……ほぼ30年前、完璧なデュエットを演じたふたり、そののちの30年間の人生を感じさせるデュエットに(彼我ともに)何を思うだろう? ゆったりと座って、ジックリとふたりの偉人の共演ライブをお楽しみください。

 1971年6月から40年後の2011年6月号ムーンシャイナー誌(\540-)は、ビルとレスターの確執、そしてアールの位置や歴史的経緯、また当日に現場にいたローランド・ホワイトの証言など、「ビル・モンローとレスター・フラット〜確執と和解」という特集を組んでいるので、ぜひ参考にしてほしい。

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