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 No. 002 2016/6/21
 
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[レッド・クレイ・アーカイブ・シリーズ]

 レッド・クレイ・アーカイブ・シリーズに新たにジミー・キャンベル『Pieces of Time』が加わりました。
最晩年のビル・モンロー参加によるブルーグラス・フィドルのお手本のような作品です。この機会にお買い求めください。


●RC-113 JIMMY CAMPBELL "Pieces of Time" CD(本体\1,980-) \2,138-

Down Yonder/Watson's Blues/Texas Quickstep/Lonesome Old Farmer/Woodstock Hornpipe/Jenny Lynn/Fiddlers Blues/Old Tennessee River/Chilly Winds of Shannon/Soldier's Joy/Ebenezer Scrooge/Blues for Casey. 

 ブルーグラス・ボーイズ、ジム&ジェシー、オズボーンと渡歩いて、同世代のナッシュビル在住のブルーグラッサーとのバンド、サイドメンとして活躍、2003年に不慮の事故で、40歳の若さで亡くなったジミー・キャンベルのブルーグラス・フィドル最後の作品であり、1996年9月に他界したビル・モンローの最晩年の録音の一つとなってしまった作品。

 モンロー・ミュージックの精神性(嫌な言葉だが…)と彼のマンドリンへの「思い」(ここで聴かれるモンロー自身の「執着」とも思えるピッキングを目の当たりにした時、これも空虚な表現?)を知る最後の手がかりとなってしまった作品である。

 ビル・モンローは「フィドルこそブルーグラスの最も重要な楽器だ」という。60年代にそう語った時、当時花形楽器の位置を得つつあったアール・スクラッグスのバンジョーに対する牽制である、という見方がされ、事実そんな状況にあったのだろう。

 が、70年代に入り、ケニー・ベイカーによってブルーグラス・フィドル・スタイルが確立された時、ビル・モンローの言葉が証明され、サム・ブッシュやアラン・マンデによってマンドリンやバンジョーにもそのスタイルが継承された時、第2世代のブルーグラスが始まった。

 70年代後半のデビッド・グリスマンの音楽もフィドル音楽とジャズの関連なくしては語れない。

 この作品はビル・モンローのフィドル・ミュージックを体現しようと試みられた作品で、モンローが愛したトラッド・フィドル・チューンの数々、そしてモンローの未発表曲を含むオリジナルが半数以上を占めている。

 多くの人がモンローの驚異的なオリジナル曲の量産を目撃しているが、私自身も1976年にモンローとミズーリへのツアーに同行した時、毎夜ノックと共にケニー・ベイカーの部屋に新曲を披露しに来るモンローを経験している。

 彼は所在なげに様子を見て、「ところで、こんなのどうだい」と思い浮かんだメロディーを弾いて見せる。もちろん、そんな中から数多くのブルーグラス・スタンダードが生れ、今も生れつつある。

 結果的にはこのコンセプト、本来はケンカ別れ(2年ほど前に仲介者の尽力で仲直りしている)したケニー・ベイカーがやるべき仕事なのだろうが、その後継者として、奏法的にもベイカーのスタイルを見事に継承したジミーが最晩年のモンロー・ミュージックを体現するのを聴く事は、モンローの音楽の終着点として大きな意義を持つだろう。

 ジミーはブルー・グラス・ボーイズに参加した後、ジム&ジェシーのメンバーとしてグランド・オール・オープリをはじめ、各地のフェスで活躍する一方、今では伝説となったザ・サイドメンの一員としてナッシュビルのダウンタウンのライブ・ハウス、ザ・ステーション・インで毎週火曜日、当時、その数を増した大学生を中心にした観客にブルーグラス・フィドルの真髄=ケニー・ベイカー・スタイルを聴かせた。この作品のメンバーはビル・モンロー(m)、ロニー・マッカーリー(g)、ダナ・カップ(bj)、マイク・コンプトン(bs)、マイク・コンプトン(m)…、最後のモンロー・ミュージックを演じる最も相応しいメンバーだろう。ありがとう、ビル・モンロー…。

 アルバム製作後半入院中であったモンローはアルバムのラフデザインを壁に張って完成を待ちわびていた。

 またジャケット中のCasey Campbellも好青年に成長し現在マンドリンで活躍している。