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Today's topic No. 276
  2019/5/29

 ジミー・マーティン、1950年代初期のビル・モンローの「ハイロンサム」サウンド形成に多大な貢献をし、そののちJ.D.クロウやビル・エマーソンら、偉大なバンジョー奏者を擁してバンジョーロールを尖鋭化した「ソリッドグラス」サウンドを創造した「キングオブブルーグラス」こと、ジミー・マーティン(1927-2005)。ジミーがまだ40歳代はじめの血気盛んなころ、バンジョーに前半1969年のライブはクリス・ワーナー、後半1971年はアラン・マンデやフィドルにチャビー・ワイズを配したイケイケのソリッドグラスライブ全25曲集である。




 




●ROC-3299 JIMMY MARTIN『& the Sunny Mountain Boys Live '69 & '71』CD(本体\2,450-)\2,646-

(Recorded @ Berryville VA in 1969)
Fire on the Mountain/Sunny Side of the Mountain/Band Introductions/Tennessee/Traveling The Highway Home/Shackles And Chains/Big Country/My Heart Won’t Let Me Forget/Freeborn Man/Widow Maker/Moonshine Hollow.
(Recorded @ Camp Springs NC in 1971)
Tennessee/Milwaukee Here I Come/Arab Bounce/Band Introductions/When The Saviour Reached Down His Hands For Me/Cracklin’ Hen/Freeeborn Man/Sunny Side Of The Mountain/I’ve Got My Future On Ice/Bugle Call Rag (aka Crow On The Banjo)/Traveling The Highway Home/Lee Highway Blues/Tennessee/Little White Church.

 徹底したバンジョーのスリーフィンガーロールにリズムの基本を置いて、いわゆる「ソリッドグラス」を生み出したジミー・マーティン(1927-2005)。

 本作は40代になったばかりの彼、1980年代以降の上品な!?ブルーグラスでは決して経験できない、その生々しいエネルギーに横溢した強烈なステージを聴かせる。

 わたしは目の前でこのステージを見ていたが、モンローやフラット&スクラッグスとは違うこの生々しさは、ブルーグラスが本来的に持つエネルギーであり、それを極力隠していった1980年代以降のブルーグラスとはまったく別モノ、つまりホンモノであったことは言っておきたい。

 1969年のベリービルフェスでは11曲、クリス・ワーナーをバンジョーに、マンドリンの一典型フレーズを完成させたバーノン・デリック(フィドラーとしてのちにハンク・ウィリアムズ・ジュニアのバンドリーダーとなった)、こののちカントリー・ジェントルメンに移るビル・イェーツ(bs)、セカンドシンガーを務めるグロリア・ベル、そして息子14歳のティミー・マーティンのスネアドラム。

 1971年の14曲はキャンプスプリングスフェス(史上初のブルーグラスドキュメント映画が撮られ、ブルーグラス45も参加したフェス)では、チャビー・ワイズのフィドルをゲストに、ほぼ2年目のアラン・マンデ、スネアの17歳になったティミー・マーティン、下の息子レイ・マーティンはマンドリンをはじめたばかりでロニー・プリベットも参加、そしてグロリア・ベルがエレキベースになっている。

 ……サム・ブッシュとともに繊細なバンジョーで発表したLP『Poor Richard's Almanac』から一転、ここでソリッドなバンジョーを身に付けたというアラン・マンデが聴きモノだ。

 音には収まっていないが、徹底的にジミーにいじられるキャラを、おそらくかなり本当の自分を演じていたように思う。

 ライナーに指摘されているように、無口で威厳をはなつビル・モンロー(1911-1996)はその音楽にも、ちょっとシカトしたような態度で、音楽が熱くなり過ぎないようにクールを装うのが得意だった。

 それに対して、モンローのもとではハイロンサムの重要なパートを演じたジミー・マーティンは、独立してからはエンターテイメントに徹し、同時代のヒルビリー/ロカビリーバンドの誰よりも(戦前のスキリットリッカーズのような)下品で賑やかなステージを演じつづけた。

 常に叫び声をあげながら客をノセ、ネタにし、バンドメンバーをからかい、自分を貶めて、徹底的なヒルビリーを演じた故に、観客から愛されもし、嫌われもしたジミー。

 テネシー州ハンコック郡スニードビルという田舎町で、おそらく最貧の生活と差別を受けて育ったのだろう、その苦悩が彼の派手な一挙手一投足から感じられる。

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